【スラトレ®番外編】笑えなかったDr.EKOが、笑いの文化に育てられ、医師を志し、スラトレ®を開発することになった原点の街

今回の記事は、Dr.EKO博士のルーツである「千林商店街」、なにわ人の知恵とユーモア、そして「笑いの英才教育」を通して形成された現在の在り方とスラトレ®とのつながりまでを網羅した、読み応えのあるブログ記事です。お時間あるときに、お楽しみください。

■ 千林商店街になにわ人の“人生を明るく生きる発明の知恵”に学ぶ

自己成長やメンタルヘルスの理論的な話ではなく、少し原点に立ち返りたいと思います。
私のルーツでもあり、価値観や人生観に大きな影響を与えてくれた「ある場所」について──それが、大阪にある千林商店街です。

日本最長の商店街がお近くにある天神橋筋商店街であることは言うまでもありませんが、千林商店街はなんと全国第2位の規模を誇ります。
Dr.EKOの幼少期の相棒は、“チャリンコ”。颯爽と町を駆け回る日々でした。

今やスラトレ®として「自己理解」や「成長」を言語化し、皆さんに届けていますが、実はその“種”は、もっとずっと前から私の中に芽吹いていました。
それは、笑いと人情に囲まれた街での「人との関わり(人情)」や、「工夫して生きる知恵(Thrive)」の中にありました。

国内外問わず、Thriver(ネガティブに左右されず、キラキラと輝いて生きる人)たちは、冗談やユーモアを心から楽しみます。
私も、そんな人たちのように「人を笑顔にできる存在になりたい」と心から思うようになりました。

■ みんなに、もっと純粋に笑ってほしい──その思いで、まずは医師になりました。

身体の問題が原因で笑えないのなら、その人が笑顔を取り戻せるようにしたい。
そう思い、私はまず医師に、そして整形外科医になりました。

やがて、身体の不調は心の不調とも深くつながっていることに気づきます。
不安を取り除く方法が必要だと感じ、独自のメソッドを開発。それが後に「スラトレ®」として体系化され、多くの方の人生に寄り添う手段となっていきました。

スラトレ®初級トレーニングでは、皆さんシリアスなので、笑いはあまり多くありません。
しかし中級にもなると、雰囲気が一変し「爆笑トレーニング」に。
コーチ陣としては、受講生が純粋に笑ってくださるのが本当に嬉しい瞬間です。
そして、すべてが自然に進んでいくのです。

■ 千林商店街──ただの買い物通りじゃない

私の育った千林という町は、大阪らしいにぎわいと笑い、人情にあふれた代名詞のような場所です。
店と店、人と人のあいだに垣根はなく、誰もが「まいど!」と気軽に声をかけ合う空気感があります。

下を向いて暗い顔をしている小学生が下校する姿を見ると、なにわ商人たちは声をかけるのを止めません。

「どないしたんや?だんご食べるか?」

「キュウリ巻き食べるか?」
そっと、商品を1つ小さな手に持たせてくれます。

私も幾度となく救われた側です。
何かを買わなくても、そこに笑顔がある。
そんな日常に、人間らしく生きるヒントがぎっしりと詰まっているのです。

▼参考動画:元気いっぱいの千林商店街の様子

■ 私は、遅咲きの“笑い修行者”でした

ここで一つ、少し意外なお話をさせてください。
実は私は、中学生になるまで、人前で笑うことも、笑わせることもできませんでした。

どちらかというと、いつも眉間にしわを寄せて、深刻に物事を考える幼少期だったのです。
“おもしろいことを言おう”なんて思ったこともなかったし、周囲の空気を読んで笑いを取るようなことは、正直、得意どころか苦手でした。

そんな私に訪れたのが──笑いの英才教育です。
中学に入ると同時に、友人や先輩たちからの“指導”がスタート?!

入学式で洗礼を浴びます。

「あんた、成績ええんか知らんけど、オモンナイねん!」

その瞬間から、私の飽くなき笑いへの追求が始まりました。

■ 笑い修行

修行といっても、指導者はいません。
お笑いとは、ある意味“戦場”のようでもあり、社会そのものだったと思います。

ヒエラルキーNo.1は「おもしろい話ができる人」
No.2に、ユニークな容姿や服装
No.3は、安くて美味しいお店を知っている人
成績は……加味されていないようでした。

その光景は、まるで「笑いの達人たち」の全日本選抜のようでした。
華麗なるボケとツッコミから始まり、「間の取り方」「突っ込むタイミング」「顔の表情」「落ちのつけ方」まで、とにかく毎日が笑いの英才教材が詰まった教室。

■ 生きるスポーツメディスン

ある日気づいたことがあります。

私は恐らく補欠でしたが、笑い軍団の一員でした。ある日、皆でファミレス(ファミリーレストラン)へ行った際、全員が椅子に浅く座り、前傾姿勢をとっていたのです。

これは、すかさずツッコミを入れるための構えだったのです。

中にはエアコンがしっかり効いた店内で、汗をかいている者もいました。これは言うまでもなく、スポーツメディスン(医学)的視点でも非常に示唆に富んでいます。

そう、笑いは生きることだったのです。

高校を卒業するまでの6年間、みっちりとしごかれました。
今思えば、まさに修行のような日々で(笑)、合間に受験勉強や部活をするといったイメージでした。

▼こういう人材が中学生に一斉に集まるのです。参考動画もぜひ:
私が笑えなかった時代の覇者たち

■ 「西の発明家」が教えてくれたこと

最近、千林商店街が何かと話題になります。中でも注目を集めたのが、
「西の発明家」として紹介された動画でした。
日常の「ちょっと不便」を工夫で乗り越え、次々とユニークな発明を生み出す姿は、まさになにわの知恵と行動力の象徴です。

彼らのように、「こんなもんあったらええやろ」と思ったら即行動。
完璧じゃなくてもまず作ってみる。
この“スピード感と柔軟さ”は、まさにスラトレ®のリソース志向そのもの。

何かが欠けていても、今あるものでまず動く。
この姿勢が、不安や停滞を打ち破る原動力になるのです。

■ なにわ人に学ぶ!明るく生きるための4つの知恵

① ユーモアは“関係性を作る技術”

なにわの人たちは、どんな場面でも笑いを忘れません。

笑いは生きること


初対面の相手にもボケて、ツッコミが返ってきたらもう“仲間”。
これって、実はコーチングの「ラポール形成」と同じなんです。

→【ヒント】:まず笑顔、そして一言。「余白」が信頼を生む。

② 「まいど精神」で小さな関係性を積み重ねる

毎日顔を合わせる人への何気ない声かけ。
それが信頼と安心の土台になります。
“買い物をする”だけでなく、“会いに行く”理由になる商店街の力はすごいです。

→【ヒント】:自己成長も“積み重ね”。毎日の一言・一歩が未来をつくる。

③ 「しゃーない精神」で前を向く

うまくいかなくても、「まぁ、しゃーないか」で切り替える力。
これがなにわの真骨頂。
必要以上に自分を責めず、「次、どうするか?」に切り替える姿勢は、ストレス社会の中で大きな武器になります。

→【ヒント】:完璧主義を手放すことで、行動力は一気に高まる。

④ 発明=“行動する工夫”

千林の発明家たちのように、思いついたらまずやってみる勇気
これがあるだけで、人生はずっと面白くなり、展開が早くなります。

→【ヒント】:完璧な環境を待たず、今あるものから始めよう。

■ 「笑えなかった私」が、いま笑いを届ける理由

もし、あの頃の自分に声をかけられるなら、
私はこう言います。

「ええねん。笑われへんでも。
何歳からでも、十分人生は面白くなるで。」

私は遅咲きでした。
でも、“遅い”からこそ、変われたことの価値を強く感じられるのだと思います。

スラトレ®コーチの面々もそう。スタートが劣等生だったからこそ、今、指導者としての優等生になれます。
それを、今こうして言葉にして届けられることを、とても幸せに思います。

📍今日の:なにわ式3ステップ

(「スラトレ®式ちゃうんかい」、としっかりツッコミいれてくださいね)

  1. 鏡の前で「おまえ、将来どうしたい?ほんまはスラトレ®やってみたいんか?」と声をかける

  2. 自分に、ひと言挨拶してみる(例:「おはよう」「まいど!」「飯食うてるか」)

  3. 自宅を出る前に「ほんまに変わりたいんやったら、相談してみるのも1つやで」と自分にアドバイスしてみる

  4. 自宅へ戻ったら、「やってみいひんか?もうええやろ」と、スラトレ®コーチのページを見る

  5. 「えええぃい!」とクリックをするかどうか最後はあんた次第や!

■ 最後に

今、世の中には閉塞感や不安が広がっています。戦争、スパイ、情報操作、人権侵害、暴力、詐欺、もうテレビもネットもほり投げてください笑。
でも、だからこそ──私たち自身が“明るさの火種”になることが大切なのだと思います。


たとえ失敗しても、うまくいかなくても、「まぁ、ええか」と笑える力。
それは、知識でも技術でもなく、“人としての強さ”です。

そしてそれは、誰もが後天的に育てられる力でもあることを、絶対に忘れないでください。
私がそうだったように。

また次回のスラトレ®でお会いしましょう。
まいど、おおきに!

追伸、

さっさと個人のネガティブ感情を終わらせて、笑ったり楽しんだりできる生き方(Thrive)へ変えたい方は、コーチへご相談ください。

スラトレ®コーチ初回面談はこちらからご確認いただけます。

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